脳卒中でも旅をあきらめない

楽しく気ままに進もう

高次脳機能障害がどうした

集中力がない。独り言を言う。4桁の数字が覚えられない。

すっかり変わってしまった自分との共存が始まった。

以前の自分と比較してスペックが落ちてしまったが、それなりに生きよう。

旅行に行くことには問題ない。時間を見つけてできる限り旅に出かけよう。

第一弾は台湾に行くことにした。発病する前には6年連続台湾に訪れたので旅行復帰にはふさわしい。

頭の血管が破裂したので、なんとなく飛行機に乗るのが怖かった。根拠はないのだが気圧の関係で再び破裂するのではないのか?

主治医に相談してみたら、笑いながら「影響はありませんよ。この病気をされた方は飛行機にはそんなイメージをお持ちですね。問題は食事でしょうかね。せっかく食事コントロールしているのに浮かれて塩分とりすぎたり、たべすぎたり、お酒飲みすぎたり、しちゃうから旅行は怖いですね。気を付けて楽しんできてください。」

ありがたい。早速チケット予約しよう。

3時間のフライトを楽しんで、台湾桃園国際空港からMRTで台北市内へ向かう。暖かい優しい空気が心地よい。

やっぱり旅行は楽しい。見慣れた街並みだったが、一度死にかけて生還後に訪れた台北は新鮮だったし、不思議な気分になった。後遺症がどうした。また来れたじゃないか、台湾に。小籠包の美味しい「京鼎楼」のお隣にある馴染みの食堂で昼食をとることにした。お店の名前は読めませんが、年一回、6年間必ずお世話になっていたお店だ。麻婆豆腐と炒飯を頂いた。今日はお酒はやめておこう。こんな所で倒れたら家族にとてつもない迷惑が掛かってしまう。無理せずゆったり楽しもう。

街を散策しようMRTと徒歩で気ままにフラフラしてみた。楽しい。

復帰戦を台湾にしてよかった。

高次脳機能障害と共存できるんじゃない?

くも膜下出血

50歳になったばかりのある日、何の前触れもなしに気を失うほどの激痛に襲われた。とにかく頭が痛い、救急搬送されたが当時のことをあまり覚えていない。

後ほど家族に聞いた話では緊急手術をした後に面会謝絶だったので、僕の身に何が起こったのか知ることができなかった。意識が戻った時には全身を拘束されベッドに横たわっていた。我慢できないほどの頭痛。一体ここは何処?数日後に看護師さんからここは病院のICU集中治療室であなたはくも膜下出血で倒れたのですよ。と教えてもらった。

なるほど、ただ事ではなかったのは理解した。

 

主治医、看護師さん、家族のおかげで命はつながった。ありがとう。

左半身が動かない、言葉がうまく話せない。僕はこれからは寝たきりなのだろうか?頭痛が酷い、耐えられない痛みだ。

看護師さん:「名前は?今日は何月何日?痛みを10段階で言うと?」

僕:「〇〇です。〇月〇日です。痛みは10」

という毎日だったある日

看護師さん:「2週間で痛みは消えるはずです。」

僕:「信じられない、少しも痛みが和らがないけど」

看護師さん「噓でしょ?と言うくらいに痛みが消える人が多いよ。」

術後2週間経過

僕:「噓でしょ(笑)ホントに楽になりました。ありがとう。」

 

さあ、社会復帰に向けてリハビリ開始だ。

僕のイメージするリハビリと少し違った。子供頃に受けた知能テストのような事を毎日繰り返した。体が麻痺しているんですけど、これでいいの?正直に先生に聞いてみた。あなたの体は何処も悪くありませんよ。脳が傷ついたんです。

なるほど、納得しました。脳がダメージを受けて麻痺したので、脳のリハビリなんですね。頑張ります!

目標を決めましょう。会社に復帰したいです。頑張りましょう!

 

約2か月のリハビリで、身体は比較的早い段階で自力で歩く書くは出来るようになった。言葉は思うように話せない状態が続いたが、生活に困らない程度に復活した。必死だった。

自動車免許もクリアして社会復帰だ。

会社には元のポジションに戻してもらったが、時短対応してもらい徐々に体を慣らしていった。

明らかにスペックが落ちているのが辛い。日常生活能力があっても仕事が元通り出来ない。しばらくは大目に見てもらいましょう。

考えていることを文章にすることは時間がかかるが何とかできる。しかし会話することや発言することは難しい。瞬時に言葉に変換することは本当に高度な能力なんだなぁと感じることが出来た。

 

やはり、発病前のポジションで仕事するには無理がある。これ以上の回復が出来ないようなら、もう少し責任が軽いポジションに降格させてもらおう。そのほうが僕が気が楽だ。楽しく仕事したいから。傷ついた脳にこれ以上負担かけることをやめて、今の僕のスペックにあった仕事を見つけよう。

損傷した脳は復活しないのだから、今のこの体と折り合いをつけて残りの人生を楽しく生きていくことにした。

イタリア旅行③ベネツィア

ミラノから列車でベネツィアへ移動した。列車を降りると船のバス停、船のタクシー乗り場が目の前に。この街の移動は全て船か徒歩である。気分が盛り上がるね。日程上この街には一泊しかできない、勿体ないので急いでホテルに向かう、船のタクシーに乗り込んで予約したホテルの前まで運んでもらった。不思議な気分だ。海上に町がある。早速チェックインして荷物を置いて街に繰り出した。徒歩でサンマルコ広場に向かう。笑ってしまう位に観光客がたくさんいる。そりゃーそうだ、これだけの景色はなかなか見ることはできないだろう。圧巻だ。無理して行程にねじ込んで良かった。次に来るときにはこの街に2泊はしたいところだ。さあゴンドラ乗らなきゃ。夕食はイカ墨パスタにした。潮の香りを嗅ぎながらの海鮮パスタは美味しかった。真っ暗になった夜の街を散策してみたが、水位があがっていたので靴を脱いで裸足で歩いた。ホテルに戻ると一階は水浸しになっていた。完全に水没しても大丈夫な仕様になっている。今日はもう寝よう。明日はボローニャへ移動だ。

大人の休日倶楽部パス

50歳になったと同時に大人の休日倶楽部に入会した。

電車乗り放題パスでみちのく一人旅に挑戦してみた。

スタートは新潟だ。

1日目は新潟から弘前を目指す

特急いなほ ・特急つがる 乗り継いで弘前駅

弘前城公園はまだ開花宣言する前なのでゆっくりと桜を楽しんだ。今夜は青森市内に宿泊する予定だ。弘前には何度か訪問していたが、青森駅周辺は初めてだ。居酒屋で晩酌だ。マグロをつまみに地酒を飲んでいい感じにほろ酔いで夜の街を散策してみた。季節的に青森駅は雪の中ではなかったが、石川さゆり津軽海峡冬景色が脳内で何度もリフレインしてしまった。ここからフェリーに乗れば竜飛岬が見えるのだろうか?

2日目は新青森駅から東北新幹線で福島駅まで移動した。今日の目的地は桑折追分だ。福島駅から在来線に乗り桑折駅で下車して目の前の酒屋さんに「ようこそ街道の町桑折へ」という看板があり、隣の細い小路の入り口に(この先「奥州・羽州街道追分」)という木製の柱が立っていた。とても親切なサインだ。追分から街道周辺を散策して、再び桑折駅に戻り福島駅から山形新幹線米沢駅へ移動ここから米坂線坂町駅まで移動だ。米坂線は一度乗ってみたかった路線だ。米沢駅米沢牛の駅弁を購入して2両編成のディーゼル車に乗り込んだ。乗客は僕を含めて8名ほどだ。国道113号線沿いに山間をひたすら走る。途中の駅では誰も乗降しないが、小国駅で高校生らしい集団が下車した。残るは僕を含めておじさん3名だ。彼らもきっとオトキュウパスを持ってりるはずだ。坂町駅から羽越線新潟行きを待っている間にラーメンで食ってみようと駅周辺を散策してみたが、見事に何もなかった。仕方なく駅で文庫本を読んで電車の到着を待つことにした。

一泊2日みちのく一人旅はそれなりに楽しかった。

イタリア旅行②トリノ・ミラノ

イタリア王国の首都トリノフィアットの故郷トリノ

ワインとスローフードの見本市がトリノで開催されていたのでトリノ駅付近にホテルを取った。見本市の受付で料金を支払うとワイングラスがもらえる。それを首からぶら下げて会場を回り、ワイン飲み放題だ。つまみも豊富だ。ゆっくり1日かけて会場をフラフラ歩いてワインを飲んでいると、陽気なイタリア人が友達のように声を掛けてくる。新潟の酒の陣のワイン版のようだ。酔っ払った。楽しい。夜はトリノ郊外で地元料理を楽しんだ。本場のミネストローネを初めて頂いた。日本で食べるものとは随分違っていたが、とても美味しかった。翌日はユーロスターに乗ってミラノに向かった。ミラノの街を徒歩と地下鉄でゆっくり散策した。ドゥオーモは見た瞬間変な声が出た。凄すぎる、500年掛けて建造された大聖堂は流石に圧巻だ。サンタマリアディレグラツィエ教会では最後の晩餐を鑑賞した。地下鉄は時間単位で乗り放題の切符が買えるので、非常に使いやすい。トイレを使うだけでも便利だ。明日は電車でベネツィアに移動だ。

イタリア旅行①ローマ

出発の直前まで徹夜でオードリーヘップバーン主演のローマの休日を鑑賞して大韓航空で仁川空港経由でローマに向かった。徹夜したおかげで機内ではぐっすり眠れた。ローマには19時半頃に到着したのですっかり暗くなっていたのでホテルに直行することにした。郊外の安いホテルなのでダ・ビンチ空港からタクシーで小一時間走った薄暗いエリアがローマの拠点だ。腹が減ったのでチェックイン後にフロントで近くで食事取れる場所があるか聞いてみたが、もう全て閉店している時間です、と笑いながら言われた。そうだよね、もう20時半過ぎだからね。少し散策してみた、大きなスーパーを発見したが、これも閉店してる。諦めて持参した柿の種と日本酒をイタリア上陸初日のディナーとする事にした。まあ良い。朝食はホテルで予約した。さあ、街に繰り出そう。タクシーの運転手さんに「ローマは初めてですか?」と聞かれたので「はい、ヘップバーンの映画のロケ地を回るつもりだ」と言うと「ははは、それなら任せろ」と言ってくれたのでコースはお任せする事にした。映画のシーンそのままで街は維持されていた。橋を渡り、川縁のパーティーでギターをぶっ壊したところだ、などとニヤニヤしながら車窓の景色を楽しんでいると、トレビの泉に到着だ。1時間後に迎えにくる約束してタクシーをおりた。やってる。やってる、大勢の人がコインを後ろ向きで投げている。やっぱり僕もやるよね。周辺にはジェラート屋さんが軒を連ねている。僕も早速ジェラートを購入してスペイン広場まで歩いてみた。階段にはジェラートを手にした人々が大量発生している。ここで飲食はしないで、と書いてあるが、みんな無視している。時折警察官みたいな人が笛を吹いて注意をしている様だが、みんな知らんぷりでジェラートを食べて記念写真を撮っていた。流石にベスパに乗って爆走している人はいなかった。残すは真実の口だな。あははは、長蛇の列に並んだが、必ずやるとは予想できたが、みんな袖に手を隠して大笑いしていた。僕はあえて半袖だったので恐る恐る口の手を入れてみたがやはり怖い。せめて食われた真似でもしてみるか、間抜けなのでやめた。あとはフォロロマーノコロッセオパンテオン神殿でたっぷり時間を使う事にした。

ローマ帝国、恐るべし、途方もない規模の遺跡だ。かつての帝国の繁栄ぶりが現代にもしっかり残っていた。圧巻、実物を見る事の大切さを実感した。今日はお店でしっかり夕食取りたいな。パスタだよね、やっぱり。翌日はバチカン観光をメインにした。明日からはトリノで二泊の予定だ。

ロシア旅行③サンクトペテブルグ

モスクワからサンクトペテルブルグへ移動手段は夜行列車にした。

さてモスクワ駅に行きましょう。と思ったらそんな駅はモスクワにはありません、なるほど。

モスクワ・サンクトペテブルグ鉄道の駅は行き先が駅名だそうだ。

レニングラーツキー駅からモスコーフスキー駅に向かうことになる。ややこしい?駅でウオッカを入手して4人コンパートメント席を確保した。やはり夜行列車はワクワクする。駅の作りも豪華だ。楽しい。この列車は何両編成なのか?とてつも無く長い。車両ごとに責任者みたいな車掌がいる、ホテルでいたあの門番のような存在だ。鋭い目つきのおばさんだ。日本語で「こんばんは、よろしくお願いします。」と声を掛けてみたが無反応だった。日本ではコンパートメント席で旅をするなんて出来ないので、皆テンション上がりまくりだ。とりあえず車内を探検だ。トイレは至って普通だ。デッキでは喫煙可能だ。ありがたい。隣の車両も見てみよう、と思い扉を開けたら、門番にめっちゃ怒られた。怖い。そうなんだ、車両ごとに管理されているのか。部屋に戻り駅で入手したウオッカで乾杯だ。窓から真っ暗な景色を見ると何も見えない。よく見ると見えないんじゃなく何もないようだ。ひたすら地平線が広がっていた。やはりデカイ。しばらくするとミールが運ばれてきた。アエロフロートのミールとほぼ同じだ。食べ終わった頃にベットメイキングしにスタッフがやってきた。無言で手慣れた作業をして去って行った。ベッドに入ってみたが興奮で寝れそうもない。もうちょっとウオッカ煽って寝よう。デッキにウオッカを持って行ってタバコを吸いながらちびちびやってみた。よし、寝よう。だいぶ落ち着いてきた。ベッドに入ると揺れが心地よい。夜行列車最高。

車内アナウンスで目が覚めた。携帯電話を見ると電波を拾って時計はしっかり現地時間に切り替わっていた。6時ちょと前だ。予定通り早朝のサンクトペテブルグに到着のようだ。「罪と罰」の舞台だったレニングラードだ。ドフトエフスキーに小説では埃っぽいイメージがあったレニングラードだが、とても綺麗な街だ。美しい街並み。何処を切り抜いても手を抜いていない作りだ。景観を意識した作りだ。ため息が出るほど綺麗だ。この街で1番楽しみにしていたのがエルミタージュ美術館だ。とてつもない規模だ。とても1日では足りない。スケジュールの関係で自力での鑑賞は諦めてガイドさんに同行してもらう事にした。リストの中からリクエストすると効率よくエスコートしてくれた。至福の時間だ。もうしばらくこの街に滞在できればもっとじっくり観たいものだ。もう一つの目的はペテルゴフ夏の宮殿だ。エルミタージュ美術館の近くから高速船が出ているらしいが、バスで地上から行くことにした。沢山の噴水があり宮殿の敷地を散歩すると優雅な気分になった。